TV紹介映像(広島ホーム Jステーション)
代表あいさつ
皆さん、こんにちは! グローバル・ブリッジ 広島留学センター代表、そして留学カウンセラーの大塚邦弘です。
私は20才の時に生まれて初めての海外旅行でオーストラリアに留学しました。語学学校に通い、その後いろんな仕事をして約1年間滞在しました。少しは自信があった英語が全く通じず、食事のまずさにホームステイ先から逃げ出し、そんなこんなで苦労も多かったですが、今になっては人生の中で最も充実した、素晴らしい時間だったと思います。大学を卒業後、普通の会社に10年勤めましたが、その刺激のない生活がもの足らず妻や周りの反対を押し切って脱サラし、長年の夢だったこの留学エージェントという仕事に挑戦することにしました。
今まで数多くの方の留学のお手伝いをしてきましたが、最初はどうしようか迷っていた方を含め、例外なくすべての方が「留学してよかった」と言ってくれます。そして「大塚さん、ありがとう」と感謝の言葉を頂くと、本当にこの仕事を始めてよかったなあと感じます。
今、留学を考えている皆さん、一言、絶対に留学してください。留学を実現するまでにいろいろな障害が立ちはだかります。でも、勇気と強い意志があれば必ず実現できます。私はそんな皆さんのよきサポーター、又は頼れる兄貴のような存在になりたいと思っています。一緒に夢の留学を実現させましょう!
大塚さんへ 一問一答インタビュー
ご自身はなぜ留学をしようとしたのですか?
かっこいいから(笑)。大学に入って、とにかくかっこいい男になりたいと思った。女性にももてたいし(動機が不純ですね)。そこで目を付けたのが英語、やっぱ英語をペラペラしゃべれたらかっこいいでしょ。それで英会話クラブ(ESS)に入ったんですが、あまりの組織化された堅苦しさに嫌気がさして、1年経たずに辞めちゃいました。その時に先輩に「俺は留学するんで、こんなクラブ必要ない」と啖呵をきっちゃって、そう言った手前、もう留学するしかないという状況に追い込まれた。それが真相です。
留学してよかったことは?
逆に、留学して反省している事を正直に教えてください。
とにかく自信がつきました。物の見方、考え方が変わりました。逆に日本という国の素晴らしさを再認識しました。そして行動する大切さを知りました。「あなたの人生で最も大きな出来事は?」と聞かれたら、私は迷うことなく「留学」と答えます。それぐらい、本当に貴重な経験でした。
逆に反省している事は、英語の勉強です。私の頃は、まだ留学に行く人はあまり多くなく、行くこと自体が凄い事でした。なので行ってからどうするかは全く考えておらず、ホームステイを逃げ出したり、ついつい日本人同士でつるんでしまったりと、英語を学ぶチャンスをかなり失ってしまったと後悔してます。カウンセリングに来られる方には、私のような失敗をしないようしっかりアドバイスさせてもらってます(汗)
そして留学センターを立ち上げたきっかけはなにですか?
東京の会社に10年務めたんですが、ある日突然サラリーマンとしての生活が無性に嫌になって、次に何をするか決めることもなく辞めちゃったんです。しかも、その時は結婚して、子供も生まれたばかり、加えてマンション買って1年ぐらいの時でした(今考えたら無謀にも程がありますよね)。それからしばらく「何しようかな?」と考えている時にふと手にした雑誌に留学センターのフランチャイズ募集の広告を見つけて、「これだ!」と思い、速攻で電話して広島支店の枠を抑えてもらいました。それから1週間後には正式に契約してましたね。きっかけはこんな感じです。
これまででこの仕事で一番辛かった思い出は?
オープン当初はある留学エージェントのフランチャイズとしてスタートしたのですが、その本部が突然、留学費用を持って姿を消したんです。事情を説明しても、お客さまにはわかってもらえず、マスコミには叩かれ、挙句の果てには裁判沙汰にまでなってしまいました。お客様の未払い費用は、大変でしたがすべて自腹を切り収拾することができましが、私も被害者なのに、誰もそれを信じてくれないことが本当に辛かったです。その時に「すべて自分で責任の取れる完全独立した会社を作ろう!」と心に誓い、今に至ります。
留学の良さを端的に表すと?
とにかく良いことばかりです。何しろ、現在の仕事になってるわけですからね!その中でも一番は精神面の成長と固定観念からの解放ですね。留学ってサバイバルなんです。言葉は通じないし、食べる物も違う、人々が何を考えているかわからない、そして誰も助けてくれない。そんな中で生活するといやが上にも精神的に強くなりますよね。それと、今まで当たり前だと思っていた日本人としての考え方や価値観が海外では実は当たり前でないことに気付かされました。留学後は固定観念に囚われることなく、「自分が正しいと思った道は自信を持って進めばいい!」と思えるようになった事はとっても大きかったです。
これから留学を検討している人にメッセージを。
留学を考えている皆さん、とにかく絶対に留学してください。自分を含め、そして私が送り出した留学生のすべての方が「留学してよかった」と答えます。本当にすべての人がです。留学した方がいいとわかっているはずなのに、残念ながら、私のところに相談に来る半分、いや、それ以上の方が最終的に留学されません。留学することは確かに、お金もかかるし、不安も多いし、大変なことなのですが、そんな事は留学の価値と比べると小さな事です。留学したいと思ったら、迷うことなく実行してください。この「行く」、「行かない」の決断があなたのこれから人生を本当に大きく左右しますよ!もし、悩んだり、くじけそうになった時はここに来てください。あなたの勇気の一歩を後押しさせてもらいます。
大塚邦弘 経歴
1966年8月5日 | 広島県尾道市に2人兄弟の長男として生まれる。 |
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1973年4月-1982年3月 | ガキ大将、野球少年として、小・中学生活を送る。 |
1982年4月-1985年3月 | 高校生となり、突如、大学進学を目指し、優等生に変身。 |
1985年4月 | 立命館大学(文学部心理学専攻)に入学。憧れの京都 での一人暮らしがスタート。 なぜか英会話クラブ(ESS)に入るが、すぐに嫌気がさし て退部。 |
1986年1月-1988年4月 | 留学費用を貯めるため、大学にもほとんど行くことなく バイト三昧の日々。 |
1988年5月-1989年3月 | オーストラリア・シドニーにワーキングホリデーで留学。 ツアーガイド、宝石店で働きながら楽しい日々を過ごす。 滞在延長を企てるが、親の反対にあい断念。 泣く泣く帰国する。 |
1990年4月-1999年11月 | 何とか大学を卒業し、キヤノン販売(株)に就職。 東京でシステム機器のセールスマンとして約10年過ごす。 同時にこの時期、アジアのバックパッカー旅行に興味を持ち、 時間を見つけてはフラフラと一人旅をするようになる。 |
1996年6月 | (年貢を納め時)結婚。2年後に長男が生まれる。 |
1999年11月 | 会社生活が嫌になり、周りから大反対をされる中、突発 的に退社。 |
1999年12月 | 偶然見つけた、留学エージェントのフランチャイズ募集に速攻で申し込む。 |
2000年4月 | 土地勘もなく、誰ひとり知人のいない、広島市昭和町に 留学センターをオープン。 |
2001年9月 | 人生最大のピンチ!フランチャイズ本部が突然留学費用を 持って姿を消す。何とか乗り切り、「Global Bridge 広島留学 センター」として独立・再出発する。 |
2002年8月~ | 兼ねてから協業関係にあった「語学スクール アウトサイダー」を前オーナーの帰国に伴い、引き継ぐことになる。昭和町の店は閉め、現在の紙屋町にすべての機能を統合する。 |
2008年4月~ | かねてより温めてきた「お酒の飲める語学教室」という アイデアを実現。スクール内にバーカウンターのある広島初 (たぶん日本初)のグローバル・ラウンジをオープン。 |
現在に至る |